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EXHIBITIONS

大庭孝文 個展

ある家の虚偽記憶

2022. 3/11 → 3/31

2022/03/11 - 3/31 の会期にて、大庭孝文の個展「ある家の虚偽記憶」を開催。

広島を拠点に活動する大庭の東京での個展となりました。

GalleryRYOを作家の近しい者が住んでいた家と仮定し、そこにまつわる大庭氏自身の記憶をモチーフにした絵画作品を展示。

作品は全て「3:2:1」という、家族写真に多く使われるアスペクト比の形状をもち、家族やそれにまつわる思い出が強く想起される意匠が凝らされています。

家族や近しい者との喜ばしい思い出、あるいは苦い記憶、もしくは哀しみを伴う出来事など、「家」にまつわる記憶は非常にカラフルですが、しかしそのどれもが例外なく、私たちの認知構造によって事実としてではなく、ある種の脚色を加えて記憶化されていきます。

どのような思い出でさえ変容を免れ得ないという、そうした人間であることにまとわりつく認知や記憶構造について、大庭氏は絵画によって物語るのです。

本展の開催にあたって行ったインタビューにおいて、

大庭氏は自作について次のように話しています。

 

 作品は、キーワードとしては「記憶すること」「忘却することと」という、人間が持っている認知構造について言及しています。ひとの記憶は、たとえば科学の世界では非常に曖昧なものとして定義されているようなんですが、「自分では事実として脳内に保管している」と思っている記憶でも、実のところそれは、月日とともに都合の良いように改変したり、あるいは部分的には忘却したりと、様々な操作が施されている、というのが科学的な立場から見た記憶というものの認識だそうなのですが、それが非常に興味深いな、と。

 

私の絵画は、表面的にはシンプルに見えるかもしれませんが、先ほどご指摘頂いたように、実は複雑な工程から出来上がって来るんですね。具体的には「写真を撮る」→「写真をもとにドローイングをする」→「岩絵具を使ってペインティングに仕上げる」→「そのイメージ画像をフォトショで合成する」→「再び描き起こす」→「水などで拭う」→「アクリル絵具を使って描き足していく」という工程を踏んでいきます。

 

このように、大庭の絵画作品は複雑な工程を何度も重ねていくことにより、記憶のメカニズムのメタファーとしての性質が与えられています。出来上がった作品にはもともとの風景の要素は感じられず、そこには抽象的な文様が浮かび上がりますが、大庭はそうした「本来の図像(イメージ)が変容していく様子」そのものを、私たちの脳が記憶の生成する構造になぞらえ、絵画として提示しています。

                   

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